竹内街道(訪問編)

竹内街道の起源は推古天皇21年(613年)に整備された「大道」にあります。つまり、今年は竹内街道1400年の記念すべき年になります。

私は近鉄南大阪線磐城駅(奈良県j葛城市)から堺市までのランを楽しみました。距離にして40キロ強。荷物はリュックに詰め込んでリュックを背負いながら、ゆっくりと景色を楽しみました。

磐城駅
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これぞ日本古来の街並み。日本人であれば一度は訪れてみたい場所です。
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芭蕉の綿弓塚。芭蕉は門人の一人である千里の出身地、竹内を何度も訪れました。そばには民家を利用した休憩室もあります。
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カミノイケ。カミノイケと言えば敬愛する司馬遼太郎が、少年時代遊んだ地。司馬遼太郎の母方のおばあちゃんちによく遊びに行っていたようです。

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街道をゆく「竹内街道」より

村の上の方に池がある。大和の池には万葉ぶりの名のついた池もあるがこの池は単に、「カミノイケ」という。子供たちはカミの池を怖れていたが尊敬もしていた。なぜなら、これほど大きい池はちょっと近在になかったからである。
「海ちゅうのは、デライけ?」と、なかまの子供たちからきかれたことがある。デライ、というのはドエライということで、大きいという意味であった。
私は、山のことや鳥や虫、または池のことになると村の子供たちの経験知識にはるかに及ばないが、しかし大阪からやってくるという立場上、村外の知識はかれらより多く持っていた。
「デライ」と、断定すると、子供たちはうなずいてくれた。子供たちはさらに、「カミの池よりデライけ」ときいた。私は比較の表現に困り、「むこうが見えん」というと子供たちは大笑いし、そんなアホな池があるもんけ、と口々にののしり、私は大うそつきになってしまった。そのころからみると、いまの日本はじつに文明開化したものである。

雪がよく降ります。奈良と大阪の県境にある二上山。愛嬌のある山です。
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日本武尊白鳥陵
前方後円墳
東征の帰り、伊勢で病のためになくなった尊は、白鳥に姿を変えて飛び立ちました。大和を経てこの地に舞い降り、その後、西方に向けて羽を曳くように飛び去ったという伝説から「羽曳野」という市名が生まれたといわれているそうです。
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新ヶ池
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金岡神社
平安時代初期に、庶民の安全と五穀豊穣を祈願するために創建されたといわれる神社。
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仁徳天皇陵。子供によると最近学校では大仙古墳などと教えているようですが、そこを通り、ザビエル公園に行き、偶然見つけた堺市の三宝バスセンターでお風呂に入りおしまい。
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なかなか楽しいラン旅でしたが、堺市に入るとごちゃごちゃしていて道にもかなり迷いました。さて、次はどこの街道を走ろうか?

竹内街道に行く前によった司馬遼太郎記念館。2回目でしたが、モンゴル特集良かったです。ツベックマさんの映像も見ることができました。モンゴルにも行ってみたいです。
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